『豊臣兄弟!』宇喜多直家が毛利を裏切った親族への想いと妻「だし」と一族を捨てた荒木村重の描出

2026/06/21 12:00配信【サイゾー】

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 前回(第23回)の『豊臣兄弟!』では、「さらば半兵衛」のタイトル通り、菅田将暉さん演じる竹中半兵衛が美しすぎる死を迎えました。


盛りに盛られた「天才軍師・竹中半兵衛」


 桜花舞い散る中、病床から膠着状態の戦場が見えるところまで仲間たちに担がれて移動した半兵衛は「風が変わりまする」と一言。ちょうどそこに重要な武将・宇喜多直家(緋田康人さん)が毛利を裏切り、織田についたという知らせが届いて戦況が一変。沸き立つ仲間を後目に、半兵衛は「死にたくない」と本音を漏らしながらひっそり息を引き取ってしまったのでした。


 すでに半兵衛が事切れていると気づいた蜂須賀正勝(高橋努さん)が声を上げて泣いたあたりで、筆者ももらい泣きしてしまったのですが、普段は憎まれ口を叩き合っていても、心が通じ合っている仲間っていいよね……と思わせられつつも、これらはすべてがすべて「創作」。


 特に半兵衛が風向きを変えるという部分、さらに担がれての戦場(に近いところへの)移動という部分も『三国志演義』の諸葛孔明のオマージュで、半兵衛が常に手にしていた白基調の扇子は、孔明でいう軍扇だったんだ……といまさらながら気づいた次第です(遅い)。


 しかし、史実の竹中半兵衛が亡くなったのは桜の季節ではなく天正7年(1579年)6月――現在なら梅雨末期のジットリとした蒸し暑さの中でした。


 またドラマでの宇喜多直家調略に関して、本当にそれが半兵衛の“置き土産”だったのかについての明言は避けられていましたが、毛利勢が別所家の居城・三木城に兵糧を運び入れるとき、必ず通過せねばならない岡山の領主・宇喜多家の調略が完了したのが同年10月のこと。つまりドラマの秀長(仲野太賀さん)が「これで、もう(三木城へ)兵糧は届かぬ!」と叫んでいましたが、それによる孤立無援の三木城の「干し殺し」が始まるのも10月以降の話だったのです(しかし番組の終わりの「紀行」によると、その三木城内に半兵衛の墓もあるというのは興味深いですね)。


 ということで、ドラマで我々が見せられたのは、その年に本来であれば散発的に起きていた出来事を最上の映像美で魅せるための演出でした。


 宇喜多直家調略の当事者も、竹中半兵衛ではなく、ドラマでは竹中とは180度キャラが違う蜂須賀正勝(小六)などが、秀吉(池松壮亮さん)の命を受け、秀長の監督のもと粘り強く交渉した結果であったことが史料上判明しているのです。前回のコラムでもお話しましたが、織田信長(小栗旬さん)から見張り役(=軍目付け)として秀吉のもとに遣わされていた竹中半兵衛が、秀吉の「軍師」だったという証拠は薄いからですね。


 なお宇喜多直家が毛利を裏切ることに決めた理由はドラマでいう「カネ(というか、生野銀山の銀)」ほどわかりやすいものではなく、宇喜多側にあった「未来への強い不安」だったのです。


 当時の直家は自分が死病に冒されていると自覚していました。そして自分が後に残していく幼い息子(当時9歳)と、その家臣たちだけで乗り切るには、政局があまりにも困難だと判断していました。宇喜多家の所領は現在の岡山あたりで、「毛利と織田の激突に巻き込まれたら、一瞬で宇喜多の家など滅んでしまう」と見抜いていたのです。


 当時の毛利家の幹部たちは、ドラマでも描かれた通り、3名いました。偉大なる毛利元就が亡くなる前に三本の矢を見せ、三人の子に結託を説いた――という逸話に史実性はないのですが、元就の長男・隆元はすでに早逝し、その息子・輝元(濱正悟さん)が跡を継いでいました。輝元を支えるのが2人の叔父たちです。ドラマでは、彼らの「軍師」で外交官の安国寺恵瓊(立川談春さん)も含め、「全員ヤ●ザみたい」との声がSNSで上がっていましたが、史実では武闘派の吉川元春(元就次男/こばやし元樹さん)を、人海戦術に長けた小早川隆景(元就三男/山本浩司さん)がなだめながら、いまいち頼りない甥っ子の輝元を支え、うまく切り盛りしていたのです。


 そんな毛利家幹部にとって宇喜多家は、ワン・オブ・ゼムの部下にすぎないのは明確です。瀕死の宇喜多直家は秀吉ひいては信長の傘下に入ることで、状況が変わることに賭けてみたのでしょう。そしてその賭けに大勝したのでした。


 史実の直家がどの程度、内実を把握していたかはわかりませんが、実子がいない秀吉は、直家の遺児・秀家の愛らしさにべた惚れとなりました。妻の「ねね」と二人で我が子のように可愛がり、成長した後も秀家は秀吉たちとは血縁がゼロにもかかわらず、一門の扱いを受けるなど大出世を果たすのでした。


秀長による小早川隆景「有馬温泉おもてなしツアー」


 前回登場した毛利家幹部と秀吉・秀長兄弟の関係についても軽くまとめておきましょう。


 当時の毛利家の実質的な“CEO”は小早川隆景で、毛利家の調略では秀長の交渉相手となるのも隆景でした。興味深いことに隆景と秀長の出会いは「敵と味方」だったのですが、秀長による調略を毛利家全体が受け入れた後の隆景と秀長は非常に親密になりました。


 織田信長が亡くなり、秀吉が信長から天下人の野望を引き継いで行った「九州平定」で大活躍したのが、毛利勢です。名実ともに味方となった毛利家幹部をねぎらうため、天正16年(1588年)には小早川隆景、毛利輝元、吉川広家(元春の息子)の3人が大坂に招待されています。


 中でも秀長は特に仲がよかった小早川隆景をアテンドするべく「有馬温泉おもてなしツアー」を企画。一緒に温泉に入った記録まであるのでした。そしてそこに大坂の秀吉が湯加減を尋ねる手紙を何回も送りつけているのです。とはいえ、ドラマの隆景は、吉川元春同様に荒っぽく、なおかつうっとうしいヒゲ面でした。そんな隆景を見ていると、彼と秀長が風呂に入るシーンが出てくるのだろうか……という困惑は隠せません。


 ヨタ話はこれくらいにして、次回の要チェックポイントについても触れておきましょう。史実では「半兵衛の死(6月)」と、「宇喜多直家の裏切り(10月)」の間に入るのが、「荒木村重の夜逃げ(9月)」です。これはドラマでは、次回放送内容に回されたようですね。


 次回(第24回)は「軍師官兵衛!」と題し、「(荒木)村重(トータス松本)に幽閉されて1年、官兵衛(倉悠貴)は心身共に限界を迎えていた。籠城を続ける村重と織田軍の戦は膠着状態にあったが、小一郎(仲野太賀)が兵糧の補給路を断つことに成功。妻・だし(山谷花純)の説得で、村重はついに投降を決意する。信長(小栗旬)への取り次ぎを任された小一郎は、だしに官兵衛への伝言を託す。無駄な血を流さず戦が終わると思われたやさき、驚きの事態が! 状況は一変し――」という筋書きになるようですが、ここでいう「驚きの事態」こそ、史実では「村重の夜逃げ」となるはずです。


 本作はドラマオリジナルの展開が非常に目立つので、ここも劇的に書き換えられている可能性はありますが、史料を見る限り、兵糧を絶たれた籠城戦のストレスに耐えかねた荒木村重がわずかな側近を連れ、居城・有岡城から逃げ出したのが天正7年9月2日の夜のこと。


 居城内には、彼の妻「だし」や黒田官兵衛、さらには多くの家臣たちだけでなく、緊急時には城内に匿うのが決まりだったので、避難してきた数千名にものぼる領民たちを残したままでした。荒木村重が向かったのは息子――そして毛利の援軍がいる尼崎城で、有岡城は降伏するが、城主は他の城に移って戦を継続するというまさかのスタンドプレーだったのです。


 予告に見られる「だしに説得されて投降を決意」というのは、これまで「いい人」として振る舞い続けていた村重の中に生まれた卑劣な嘘だったのかもしれません。


 あるいは土壇場で信長の前に引きずり出され、処罰されるという恐怖に負けて、尼崎城に逃げ込みたくなった結果として描かれるかもしれませんが、とにかく投降どころか自分だけ逃げ出した村重に信長は激怒し、捨てられた妻の「だし」や荒木一族たちは京都・六条河原にて惨殺されたのでした。


 しかし、これこそ「恐怖による支配」を目指した失敗例です。荒木村重だけでなく、地域民の態度まで硬化してしまい、尼崎城や花隈城を舞台とした徹底抗戦の鎮圧完了まで約1年9カ月もかかる泥沼に。さらに織田家臣たちの間にも「最近の信長様はとくにヤバい」「次はいつ自分が」という疑心暗鬼の念まで植え付けられることになりました。


 ドラマでは、信長が立てた使者が明智光秀(要潤さん)であり、荒木の言葉に少なからず明智が動揺しているように見えたのは「本能寺の変」への特大の“伏線”でしょう。


 なお荒木村重はその後もしぶとく存命しました。武将を辞めて茶人に転身し、道糞――「道ばたのクソのような自分」と過去の所業を悔いているかのような雅号を名乗ったことで有名です。雅号とするにはあまりに汚い字面ではありますが……。


直火で熱した巨大な釜に生きたまま…


(文=堀江宏樹)


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