細木数子、CNN、愛子天皇論争…週刊誌が暴く時代の裏側――元木昌彦のスクープ週刊誌
<今週の注目記事>
1「『愛子天皇』大論争の核心」(「週刊新潮」5月21日号)
2「高市首相“ネガキャン動画大作戦”に大臣補佐官が参加していた」(「週刊文春」5月21日号)
3「細木数子の『ヤクザ』『金』『男』」(「週刊文春」5月21日号)
4「高校生死亡バス事故 トンデモ運転手を起用した疑惑の遠征ビジネス 年10回」(「週刊文春」5月21日号)
5「報道と世界を変えたCNNの風雲児が逝く」(「ニューズウィーク日本版」5月19日号)
6「秋篠宮家次女佳子さま“笑顔で激務”のウラに『二つの変化』」(「FRIDAY」5月29日号)
7「高市早苗夫妻のヒミツ」(「週刊文春」5月21日号)
8「性的暴行で無罪主張『元大阪地検検事正』の姑息な戦術」(「週刊新潮」5月21日号)
9「インタビュー漫画家鳥飼茜 3度の結婚で見えた、『今世紀最大の理不尽』」(「サンデー毎日」5月24日号)
10「ザッケローニ元日本代表監督『私なら、間違いなく長友佑都を選ぶ』」(「FLASH」5月26日号)
先日、映画『プラダを着た悪魔2』を観た。面白かった。
たしかに20年前の第一作に比べると、メリル・ストリープは老けてあの頃の勢いはないし、アン・ハサウェイは口を開くと下品な顔になるが、出版界の現状をよく表していて、興味深く観た。
全盛だったファッション誌も部数は落ち込み、ネットへの移行が始まって、編集費は削減される。かつては断るほど入っていた広告も激減して、ちょっとしたミスでも編集長は謝りに行かなくてはいけない。
プライドをズタズタにされたストリープだが、着るものは相変わらず素敵だし、70代半ばとは思えないスタイルの良さ。
ストーリーは平凡だが、アメリカでの雑誌の凋落の現状と、それを切り抜けるアイデアはあるのか? ということを考えながら観ていたら、あっという間に時間が経った。
このモデルになった編集長は、「ヴォーグ」のアナ・ウィンターだといわれる。あの頃のファッション雑誌は単なるフアッショだけではなく、社会や政治に対しても発言していたと記憶している。
「ヴォーグ」ではないが、デミ・ムーアのマタニティ・ヌード(1991年)を表紙に掲載したのは「ヴァニティ・フェア」誌だった。
あの時は雑誌を探して、ようやく1冊手に入れ、見た時のショックは今でも忘れられない。
デミ・ムーアといえば、映画『ゴースト/ニューヨークの幻』などで有名なハリウッド一の美女だった。そんな彼女が妊娠した姿を撮らせるなんて……。
雑誌はスキャンダラスなもの。
「雑誌には毒がなければいけない」。それを失ったら消えていくしかない。それを骨身にしみたのが、その頃のファッション誌だった。
ファッションは読者を惹きつけるための道具。それで集まってきた読者に、本当に読んでほしいもの、本当に訴えたいことを伝える。
私が週刊現代編集長の時、「ヘア・ヌード」という言葉を生み出し、多くの読者に手に取ってもらえるようになった時、私は、当時剛腕といわれ、政界に君臨していた「小沢一郎」連続追及をやった。
それが、私が読者に読んでもらいたい記事だった。その試みはかなり反響を呼んだ。批判もあった。「時の大政治家を叩きすぎる」「政治的な意図があるのではないか」などなど。
だがその時私は、小沢という政治家はこの国にとって「危険」なのではないかと、考えていたのだ。それが的を射ていたかどうかはわからない。だが、小沢一郎という政治家が天下を取ることを「阻止」できたことに、わずかだが力を貸すことができたとは思っている。
「完璧すぎるものは退屈。少しのバッドセンス(悪趣味/毒)が必要なの。それは良質なスパイスのようなものよ」
そういったのは「ヴォーグ」の編集長ダイアナ・ヴリーランドだったか。
たかが週刊誌、されど週刊誌である。毒がなければ雑誌ではない。映画を観ながらそんなことを考えていた。
さて、今朝、すごいニュースが入ってきた。上田綺世が欧州主要リーグで得点王に輝いたというのだ。
「この一戦を上田は欠場したものの、今季のリーグ戦31試合に出場して25ゴールをマーク。見事にエールディビジ(オランダのプロサッカーリーグにおける最高峰のリーグのこと=筆者注)の得点王に輝いたのだ。
日本人が得点王になったのは、欧州主要リーグでは2022-23シーズンにセルティックで27ゴールを記録した古橋亨梧以来2人目。エールディビジでは初となる快挙である」(サッカーダイジェスト5/18(月) 5:01配信)
ところで、サッカーW杯のメンバーが発表された。中でも注目されているのが5度目になる長友佑都(FC東京のDF・39)である。
年のわりには元気な長友だが、サッカーで39歳、しかも世界大会。長友は17日、記者会見を開き、こう語ったという。
「自分の4大会の経験は必ず生きる。ピッチにでても自分は勝負できるし、ピッチ外でこの長い1カ月以上の時間の中で日々いろんなことがある。4大会でみなさんが知らないこととか、日々いろんなことがある中で自分はW杯の嗅覚を持っている。独特のにおいがあって、それを嗅ぎ分けて…空気清浄機のように。悪い、汚れたなと思ったらきれいな空気に浄化できる。そういったところも含めて空気清浄機みたいな役割を果たせると思う。自分のいることの意味、存在価値はみなさんにお見せできると確信しています。今、賛否両論あるみたいですが、みなさんW杯が終わる頃には称賛しかないでしょうね。それくらい自信、魂もって日本だけではなく、世界を巻き込んで戦います。見ていてください」
サッカーのW杯北中米3カ国大会に選出された長友佑都(39)が17日、都内で会見を行った。5度目の大舞台への決意を語るとともに、選出を巡り、自身への賛否についても言及した」(デイリースポーツネット版5/17(日) 16:49)
自らを空気清浄機にたとえたところなど長友らしいが、彼の力が絶対必要だと、元日本代表監督のザッケローニもFLASHで語っている。
このインタビューは代表発表前だが、
「重要なのは個人ではなく組織だ。チームとしてどんな雰囲気で、どんなモチベーションで臨むかがポイントになる。(長友について)私なら、間違いなくメンバーに入れる。日本はすでにW杯を戦う力を持っている。あとは、その力を本番でいかに発揮できるかだ。
そのためにピッチ内だけでなく、ピッチ外でも存在感を発揮できる長友は不可欠といえる。チームのために常に闘志をもって全力で戦う、それが長友なんだ」
エースストライカーの上田綺世がいる。チームの要でムードメーカーの長友がいる。絶対守護神のGK鈴木彩艶がいる。
日本中がお祭り騒ぎになるW杯は現地時間6月12日から始まる。
ところで、私は、「選択的夫婦別姓」というのがよくわからない。
AIに聞くと、こう答えた。
《ここで重要なのは、「全員が別々の名字にしなければならない」という意味ではないという点です。あくまで「選択肢を増やす」という提案です。
同姓を選びたい夫婦: 今まで通り、2人で同じ名字を名乗ることができます。
別姓を選びたい夫婦: 結婚後も、それぞれが生まれてからの名字を名乗ることができます。
なぜ導入が議論されているの?(主なメリット)
導入を希望する人々からは、以下のような理由やメリットが挙げられています。
キャリアや実績の継続: 仕事で名前が変わると、これまでの実績(論文、資格、営業の顧客など)の証明が難しくなったり、手続きに大きな手間がかかったりするのを防げる。
アイデンティティの維持: 生まれたときからの名前に愛着や誇りがあり、変えたくないという個人の意思を尊重できる。
改姓手続きの負担軽減: 銀行口座、免許証、パスポート、クレジットカードなど、結婚時の膨大な名義変更の手続き(その多くを現状は女性が担っている)が不要になる。
一人っ子同士の結婚: どちらの家系の名字も絶やしたくない場合、お互いの名字を残したまま結婚できる。》
これに反対している人たちは、「家族の一体感の低下」「子供への影響」「伝統的な家族観の重視」という理由を挙げているという。
私は「別姓」いいんじゃないと思うが、高市首相などはこれに強く反対し、「旧姓(婚姻前の名字)の通称使用の法制化」を主張している。
これは「法的な名字は一つに統一するが、社会生活では旧姓をそのまま『本名と同じように』使える法的効力を持たせる」ということのようだが、「1人2名」になることによる国際的な不正リスクや、アイデンティティ(精神的苦痛)の未解決により、日本弁護士連合会は、「どれだけ制度を工夫しても、通称は公式な氏名(本名)ではない。自分の生まれた名前を正々堂々と名乗れない苦痛や、選択の自由がないという根本的な問題は解消されない」と主張しているようだ。
サンデー毎日は、「先生の白い嘘」などで知られる漫画家、鳥飼茜にインタビューしている。彼女は3度の結婚で見えた夫婦同姓制度は「今世紀最大の理不尽」だと話す。
鳥飼 私には(鳥飼茜)というペンネームがあり、日常では戸籍名で呼ばれることはほとんどありません。それでも、愛犬のワクチン接種の時、ちょっといいレストランで食事する時のカード決済などは、2度目の夫の姓になります。そして、もし、何か突発的な事故に遭って死んだら、その名前で人生を終える。
そう考えたら、心臓の裏側に湿疹が広がるような壮絶な違和感にさいなまれ、家庭裁判所に「氏変更」の審判を申し立てたのです。生まれてからの戸籍謄本をすべて取り寄せ、書類に記載し、ようやく「審判確定証明書」を手にしたときの達成感ときたら。
その後、3度目の結婚をするが、選択的夫婦別姓制度が施行されるまでは「事実婚」で行こうと話し合っていたそうだ。
鳥飼 そのころには、苗字を相手の姓にする法律婚は考えれば考えるほど、自分が自分らしくあることの妨げになる可能性を孕んでいると感じていたのです。
高市首相の旧姓併記については、
鳥飼 戸籍では改姓を求めつつ旧姓を併記させるとは、ちょっとややこしすぎます。何のための策なのか、もはやわからないというのが正直な感想です。
私はカミさんのことを名前で呼んでいるから、旧姓でも構わない。好きなほうを結婚する時に決めておけば、いいのではないか。
子どもは生まれたときから両親の姓が違っているから、さしたる混乱はない。子どもは大人より順応性が高いから。
私も、高市首相のいい分は理解できない。
お次は、部下だった女性検事に性的暴行を加えた罪に問われている元大阪地検検事正・北川健太郎被告(66)のお話。
北川は事件後、被害者に宛て1万字に及ぶ謝罪文を書いている。その中に、
〈私のやったことの愚劣さが身にしみています。事後の対応も最悪です。(中略)本当にごめんなさい〉
とある。
だが、一転、裁判では「無罪」を主張している。
一方、被害者であるひかり(仮名)はPTSDに苦しむだけではなく、北川に近い女性副検事が「被害は嘘だ!」と誹謗中傷を繰り返す、唯一の支援者だった先輩検事を大阪地検から異動させられてしまうなど、職場の悪環境に耐えきれず、ついに、辞表を検察に提出してしまった。
「検事の仕事が大好きだった」彼女を辞職に追い込んだ大阪地検という組織は腐りきっているようだ。
新潮によれば、彼女が辞表を出しに行った時、上司もかつての仲間も誰一人姿を現さず、慰労も見送りもなかったという。
ひかりの代理人を務める田中嘉寿子弁護士も大阪検事OBだが、彼女のところにもある検察OBから、「北川が逮捕されたのでカンパをしてくれ」という電話があったという。
もちろん彼女は断った。
事情に詳しい検察関係者によれば、「検事正まで務めた北川が、そこまで悪いことをするわけがない」といい続ければ、世論も多少なびき、傷ついた検察のブランド力を回復できるのではないかと考えるアホがいるそうだ。
それにしても検察という組織は如何ともし難いようだ。
今、再審法制の整備を進めようという動きが進んでいる。焦点は、裁判所の再審開始決定に対する検察の不服申し立て(抗告)を禁止しようというものだ。
政府は当初、現状維持だったが、自民党の稲田朋美議員は、再審法制における「検察官の不服申し立て(抗告)の禁止」に賛成・主導して、法務省の対応に対して激しく抗議を行っている。
そのためもあってか、政府は渋々、本則に「抗告の原則禁止」と明記するよう修正したが、これでは、検察側の抗告を全面禁止することにはならない。
検察側の証拠の全面開示を含めて、徒に再審を長引かし、無罪になった時は老人では、正義を行ったとは到底いえない。
検察の威信は地に落ちた。回復したいと思うのなら、人質司法の問題を含めて、組織内からの改革がなければならない。
ハレンチ罪に問われている仲間の男のことなど、裁判所に任せろ!
お次は、高市首相の亭主の山本拓元衆院議員のお話。
日本初のファーストジェントルマンだが、病のため表舞台に出ることはほとんどない。
そんな山本が文藝春秋6月号でインタビューされ、話題になっている。
山本は、高市が少しでも眠れるよう、できることは自分でやって彼女の睡眠時間を多くしてやりたい、落選後、妻に残りの人生をかける決断をしたそうだなどと“美談”仕立ての話が目につく。
文春によれば、
「公邸の掃除は週一、二回。料理人は常駐していない。
『晩御飯は政策秘書を務める高市氏の弟が買い集めた冷凍食品や、官邸からデリバリーする弁当のほか、調理師免許を持つ山本氏が数品作ることもあります。さらに山本氏は最近、月刊「文藝春秋」六月号のインタビューに応じ、高市氏が公邸の防音室でドラムを叩いていることや、今でも「早苗ちゃん」「拓ちゃん」と呼び合っていることなどを明かしていました』(高市氏周辺)」
だが文春は、美談の裏にある山本の「過去」をほじくり出す。
2人が最初に結婚したのは、2004年9月のことだったという。高市は42歳になっていた。
高市のブログによれば、実弟が山本の事務所に雇用されたことで急接近し、翌04年6月に山本から、「真剣に結婚相手を探しておられるんでしたら、僕もバツ1ですので立候補しますよ」と求婚され、1週間で結婚を決めたという。高市自身もYouTubeなどで「交際ゼロ日婚」と認めているそうである。
だが文春によれば、山本と結婚していた元妻A子の知人によると、「バツ1といっても、彼は直前まで別の女性と婚姻関係にあった。しかも、一方的に捨てたようなものです」と訴えているというのである。
文春によれば、「今からさかのぼること四十年以上前の一九八三年四月、山本氏は福井県議選で初当選を果たした。彼の傍らにいたのが、お見合いを経て結婚したA子さんだ。
『彼女は福井県の建設会社の令嬢で、小柄で上品な雰囲気。結婚の際は、トラック七台くらいで嫁入り道具を運んでいた。お父さんは「大変なところに嫁ぐんだ」と張り切っていました。八四年には、現在、福井県議を務める長男・建氏が誕生しています』(同前)
山本氏は九十年二月、初めて国政選挙に挑戦。陣営では、栄養ドリンクのCMから『24時間戦えますか』をスローガンとして唱和していた。支援者の一人が当時の光景を瞼に浮かべる。
『当選が決まった夜、陣営の溜まり場だったスナックにメンバーが集まり、盛大にお祝いした。その中で感極まった表情を浮かべていたのが、ずっと陰で夫を応援してきたA子さんでした』
山本氏の選挙は、多くの従業員を抱えるA子さんの実家の建設会社にも支えられてきた。
『彼女のお母さんが「うちの娘の旦那だから票を入れてやってくれ」と近隣に頼み込むなど、選挙のたびに援助していた。ところが夫の国政転身から約四カ月後の九十年六月、実家の会社は約二億円の負債を抱えて、破産してしまったのです」(A子さんの知人)』
さらに山本も96年の衆院選で落選してしまう。繊維業や飲食業などを手掛けていた家業も解散し、99年に福井県知事選に出馬したが落選。
だが国政を諦めない山本からA子に「離縁状」が届いたのは2001年の秋だったという。
A子の親族が完全匿名を条件にこう話している。
「A子のことがもう邪魔になったのか、ある日、離婚したい理由などが書かれた手紙が届けられたんです。A子が建くんを含めた三人の子どもたちに『別れることになったから私に付いてくる?』と聞くと、『付いていく』と。家を出たのは、建くんが大学受験を控えた一番大切な時期。結局、高校には転居先の家から通うことになった。『手紙の内容は一方的で、とても子どもに伝えられるものではなかった』と彼女は話していました」
2人の離婚が成立したのが2003年。高市と結婚したのが翌年6月。
その頃、高市は友人にこう告げていたそうだ。
「結婚したとき彼の預金通帳を見て、私、気絶しそうになったのよ」
その理由を尋ねると、彼女は声を潜めてこういったそうだ。
「気絶するほど金がないねん」
山本も当選し、夫婦で大臣を競い合うが、高市が抜け出す。夫婦間格差は次第に広がっていった。
そんな2人が突然離婚を発表したのは2017年7月。理由は「政治的スタンスの違い」だった。
山本の中国大好きというスタンスが、高市と合わなかったようだ。
これは高市にとってショックだったようだ。
だが、初めて高市が総裁選に出馬した時は、熱心に高市を応援していたという。だが落選。自身も衆院選で落選してしまう。
その直後、山本のほうから、「俺も政治家じゃなくなったし、また一緒にならんか」といって二度目のプロポーズをしたという。離婚がショックだった高市はこれを二つ返事で受け入れ、苗字の話になり、今度はじゃんけんの結果、高市姓になったというのだ。
ただ、「体裁を気にしてか」(政治部記者)、高市氏は復縁をなかなか公にしようとしなかった。
世間に“おしどり夫婦”のように喧伝されている夫・山本には、A子という女性を蔑ろにしたという過去があった。
2人はこの記事を読んで、何を語り合ったのだろう。
ところで、衆参両院は安定的な皇位継承に関する与野党の全体会議を開いて、中道改革連合が党見解を表明して各党・会派の意見が出そろったため、森衆院議長は「今国会中に皇室典範改正案の成立にこぎつけたい」と述べた。
いよいよ皇室典範改正に向けて動き出したが、そこには「愛子天皇」も女性天皇も置き去りにされ、議論さえなされていない。
こうした動きの中で忘れ去られがちなのが、秋篠宮家の次女・佳子さんのことだ。
彼女は31歳になる。公務数では皇室でもトップクラスで、今年も130件以上の公務が予定されているという。
FRIDAYによれば、その佳子さんに最近2つの変化があるというのである。
一つは「母親・紀子さんとの親子関係」だという。少し前までは2人の間に距離があると週刊誌などで報じられたが、最近は一緒の公務が増えているというのだ。
皇室解説者の山下晋司はこういう。
「結婚がいつかはわかりませんが、一緒にいられる間は母に寄り添いたい、とお考えなのでは。佳子内親王殿下も年を重ねるにつれて、親の気持ちがわかるようになってこられたのでしょう」
今一つは、「結婚を巡る環境の変化」だという。
皇室典範が改正され、女性皇族が結婚後も皇族の身分を保持するとなれば、どうするかは本人が決めることだが、どちらにするにしても批判される恐れがある。
秋篠宮もそれを心配しているというのである。
そこで、佳子さんの「電撃結婚発表」がいつあってもおかしくないというのだ。
私もそう思っている。
秋篠宮は長女・眞子さんのような結婚を佳子さんにはしてほしくないと、以前からいっている。
佳子さんにはいい結婚相手を見つけて、皇室の外へ羽ばたいてほしいと考えていることは間違いないだろう。
そのリミットはもうすぐである。若い時から皇室内での反逆児として、しばしば大胆な発言をしてきた秋篠宮だから、年内の早いうちに「佳子さんの結婚発表」は十分にあり得る。その時を楽しみに待ちたい。
さて、以前にも書いたが、私がCNNというメディアを初めて知ったのは1989年6月4日に起きた「天安門事件」の前日だった。
学生たちがハンガーストライキをしている前に櫓を組み1台のカメラがジッと彼らの姿を撮り続けていた。
そのカメラが、あの軍の戦車にひき殺される学生たちの姿を世界に伝え、われわれは中国政府による残虐行為を知ることになったのである。
「同局の放送開始は1980年。世界各地の動きを瞬時に伝えるニュース専門局の誕生で、国際情勢への人々の理解は格段に深まった。その功績はテレビ業界にとどまらず、彼はジャーナリズム、さらには世界に対する人々の認識を変えた」
そうニューズウィーク日本版は書いている。
そのCNNを創ったメディア業界の風雲児、テッド・ターナーが5月6日、87歳で亡くなった。
「創業当初のCNNはジョージア州アトランタのかつてのカントリークラブに『世界本部』を置くオンボロ所帯。既存のニュース番組のベテラン記者からは、CNNは『チキン・ヌードル・ネットワーク』の頭文字を取った略称だ、などとからかわれたものだ」
というのだ。
たしかに、カメラ数台で、世界中の地域から情報を流し続けるメディアは、既成の大マスコミから見れば「チキン」のような存在だったのだろう。
「だがCNNは80年代半ばまでに黒字化を達成。ソ連が崩壊し、湾岸戦争が勃発した91年には、現地取材と速報性を誇る唯一無二のメディアとしてアメリカ、そして世界にその名をとどろかせていた。
ターナーはその先見性を評価され、91年にはタイム誌の表紙を飾る『今年の人』に選ばれた。彼のアイデアから世界中の人々がいま起きている事態を同時に見守る報道空間が生まれ、CNNはニュース配信で3大ネットワークの視聴率を奪うライバルとなった」
最初から有料で配信するという姿勢に、他の大メディアも注目せざるを得なくなった。
「今では世界中の人々が昼夜を問わず地球のどこかで起きたニュースを当たり前にチェックしている。それはターナーがCNNを設立するまで、誰も想像できなかった光景だ」
私の友人は、早い段階でCNNの日本での配信権を手に入れた。彼の先見性はこの国では早すぎたため成功しなかったが、もうしばらく待っていれば、ネットの時代になり、彼の先見性は高く評価されたと思う。
私も、1999年にWeb現代を立ち上げたとき、カメラとパソコンがあれば、世界中から情報を届けることができると考え、ニュース部門をつくり、ビデオジャーナリストを育てようとしたが、まだ機は熟していなかった。
これからは、AIを使って正確な情報を世界の隅々まで届ける新時代のCNNが出てくるのではないかと期待している。
メディア貧国のこの国からは絶対出てこないとは思うが。
部活で遠征中の北越高校ソフトテニス部の生徒20人が乗っていたマイクロバスが、道路脇のガードレールに衝突して、投げ出された生徒1人が死亡した事故は、高校側のいい分とバスの運行会社「蒲原鉄道」茂野一弘社長のいい分が食い違って、責任の所在がまだはっきりしない。
ただ、マイクロバスを運転していた若山哲夫容疑者(68)のトンデモぶりは目を覆うばかりである。
文春で、新潟県内で自動車修理工場を営む男性がこう話している。
「彼は直近1カ月半で5回も交通事故を起こし、毎回ここに車を修理に持ち込んで来ていました」
続けて、
「会うたびに挙動がどんどんおかしくなり、目の焦点も合っていないようだった。全く運転できるような状態じゃなかったんです。それなのに、5回目の事故の5日後に子どもたちを乗せたバスを運転するなんて……。知っていたら絶対に止めていました」
社会部記者もこういっている。
「車両は厳しい運行管理が求められる『緑ナンバー』ではなく、自家用車と同じ『白ナンバー』でした。若山は旅客輸送の運転に必要な『二種免許』を所持しておらず、違法な“白バス”行為にあたる疑いも浮上しています」
だが、文春によれば、この男、新潟陸上部ではその名を知られていたという。
青森県出身で、早稲田大学を経て東京学館に採用され、指導者として、東京学館新潟高、開志国際高をそれぞれ初の全国高校駅伝大会へと牽引したという。
だが、最近は市内の一軒家で一人暮らしだったようだ。
「最近は挨拶しても返事がなく、目が泳いでボーッとしていることが増えました。糖尿病を患っているとも聞いた。黒の軽自動車『N-BOX』をよく運転していたけど、あちこち凹んでいて、大丈夫かなと不安になるほどでした」(近隣住民)
若山は3月下旬から4月末まで少なくとも4回の事故を起こし、
「五月一日、新潟県北部の高速道路で若山さんが多重事故を起こしました。乗っていたのは、私が代車として貸していたホンダの軽自動車『N-ONE』。彼が『自走できない』と言うので、私も現場に向かった。どうやら前方でパンクして停車していた車に突っ込んだようで、県警が事故処理にあたっていました」(修理工場を営む男性)
なぜ、こんな男にハンドルを握らせたのだろう。
茂野社長は事故当日の会見でこう話した。
「高校から『貸切バスは高い』『できる限り安くしたい』と要望があり、営業担当者が“知り合いの知り合い”を紹介した。運転手の事故歴などは聞いていない」
同席した営業担当の金子賢二によると、
「緑ナンバーを使うと高くつくので、(学校側から)『安いものを探して』と。それでレンタカーに辿り着いた。『運転する人もいない』という話になり、運転手も手配した。ドライバーと面識はない。謝礼は学校側が払うと思っていた」
こうした説明に対して、学校側も真っ向から反論した。
灰野正宏校長は翌7日の会見で次のように主張した。
「顧問によると、レンタカーや運転手の手配は依頼していない。人数、場所を伝えてバスの運行をお願いした。長年出入りしている業者に頼めば安心だから、と契約書は交わしていない」
さらに学校側は10日、再び会見を開いて、顧問の寺尾宏治が涙ながらにこう話した。
「蒲原のバス、運転手という認識だった。何度も頼んでいる会社で、金子さんのことも信頼していた」
真っ向から食い違う主張だが、どうも、学校側にやや分が悪いようなのだ。
和田晋弥現理事長は、複数の企業(グループ売上高160億円)を経営する実業家だという。
金持ちが悪いというのではない。だが、
「蒲原にバスを依頼する際は、営業担当の金子さんにほぼ丸投げしていました。信頼関係に甘え、白ナンバーか否かは気にしたことがない。数年前は金子さんから見積もりが届き、後払いが多かったと記憶している。蒲原に支払うのとは別に、運転手には1?2万円程度の謝礼を渡していました」(同校の元教員)
遠征バスの運用については校内からも改善を求める声が上がっていたようだ。
「二〇一〇年代に各地で遠征バスの事故が相次ぎ、当時の副校長が『顧問の運転は禁止すべき』『きちんとした会社に正規(緑ナンバー)の観光バスを依頼するように』と強く求めていました」(同)
ところが、各部の顧問らは異を唱え、「だったら予算を増額してくれ」という声が噴出し、副校長の警告は無視されたという。
安さを求める学校側、それに応じて、できる限り安いバスと運転手を探し、免許証も事故歴も確認せずに手配したバス会社。
結果、絶対に運転してはいけない人間がハンドルを握ることになり、事故が起きた。
亡くなった高校生は無念だっただろう。だが、こうした遠征が頻繁にある学校は全国にいくらでもある。
事故を起こさない体制づくりが学校側にもバス会社側にも求められることはいうまでもない。
ところで、細木数子をモデルにしたNetflixの『地獄に堕ちるわよ』の評判がいいらしい。
私は細木数子という女性占い師を昔、知っていた。
私も観てみた。最初から違和感があった。細木を演じる戸田恵梨香は熱演だとは思うが、細木というのはあんなほっそりした美形ではなく、テレビで見た方も多いだろうが、マツコ・デラックスのようないかつい角ばった顔である。
新橋のバーを成功させ、20代初めで銀座にクラブを何件か持っていたという。1958年には、銀座にクラブ「かずさ」をオープンしたそうだ。
彼女は私より7歳上である。初めて会ったのはどこだったか? 私の記憶力はかなり危ういから自信はないが、はっきり覚えているのは、知人に連れていかれたクラブかどこかで、帰りがけに彼女が送ってきて名刺をもらったシーンだ。
私は1970年入社だから、細木が赤坂にサパークラブ「艶歌」をオープンしたのが1969年、1974年に赤坂にディスコ「マンハッタン」をオープンしたというが、私はディスコへは行ったことはないから、サパークラブだったのか……。
その後何回かその店へ行って話をするようになった。美人ではないが、話の面白いオバサンという感じで、色気はなく貫禄十分だった。
だが、記憶が前後するが、ある時、細木と広いガランとしたフロアに2人で座って、話していた記憶がある。
自信満々の細木ではなく、クラブ事業に失敗して、これからどうしようかなどという湿った話をした記憶があるのだが、ドラマを見てもそれらしい場面はないから、確信は持てないが。
ただ、その頃は、確かに細木は借金を背負い、お先真っ暗な時だったと思う。
その窮地を救ったのが、島倉千代子だった。
『地獄に堕ちるわよ』の中にも出てくるが、1975年の島倉千代子の“事件”の時、私は週刊現代編集者として、島倉にインタビューしている。
彼女は、付き合っていた確か眼科医か何かだったと記憶しているが、その男に実印まで預け、次々に不渡りを出されて、数億ともいわれる多額の借金を背負ってしまったのだ。
細木の話では、島倉が世を儚んで死のうとしていた時、車で通りかかった細木が助けたという。実際はそうではないようだが。
細木は島倉に、借金は何とか話をつけるからと、太っ腹なところを見せたが、内心では、島倉の興行権を持てば、借金を返してもなお、どれだけ儲かるかを胸算用していたのである。
細木から電話がかかってきた。当時、記憶によれば、週刊文春がルポライターの竹中労を起用して、激烈な島倉批判をしていた。
それに反論したいというのだ。
竹中に喧嘩を売るのも面白いなと思い、取材に行った。そこに、細木と島倉のほかに、細木より年下の細身で、明らかにその世界の人間だとわかる優男がいた。それが細木の彼氏の二率会の堀尾昌志だった。
素顔の島倉は気さくな感じで、一緒にいた男にされた仕打ちや、細木に会って助けられたという話をボソボソと話した。
それが現代に出ると、細木からありがとうの電話がきた。
今になってみれば、細木が男と組んで事務所を作り、島倉の興行権を一手に握って、借金の数倍は儲けた片棒を担いだような気がして詮無い。
その後、1976年、細木から「弟が選挙に出たい」といっているから相談にのってくれないかという電話があった。
「どこから出たいのか?」と聞くと、新自由クラブからだという。
当時、自民党の金権体質を嫌い、党を飛び出た河野洋平、山口敏夫などがつくった新自由クラブがブームを起こしている時だった。
そのブームに乗れば当選できると考えたのだろう。
私にいってきたのは、私が新自由クラブの河野や山口と親しいと知っていたからだ。
まあ、話だけでもしてやるよといって、ダメ元で、河野だか山口だか覚えていないが、話をしてみた。
すると、できたばかりの新党だから出馬する人間を探していたのか、OKの返事をもらった。
だが、この弟というのは政治家にするなどもってのほかという人間だった。当時、渋谷(細木はここの生まれ)、中野、杉並という選挙区だったと思うが、大差で負けたからホッとした。
そして今度は政財界、特に政界では、歴代総理が教えを請いに来るという陽明学者の安岡正篤と結婚したという噂が駆け巡った。1983年のことだった。
まさかとは思ったが、電話をかけてみた。細木は「こっちに来る?」といった。
記憶では、当時、赤坂のコロンビアの後のマンションに住んでいたと思う。ドラマで描かれていたようなゴージャスな部屋ではなかった。
部屋に上がって、「あの話はほんとなのか?」と聞いた。細木は「見てみる。そっちの部屋で寝ている」とふすまの奥を指した。
行ってみると、布団が敷かれ、老人が寝ていた。奥の方に巻物や骨董品のようなものが雑然と積まれていた。
細木は、「あの人、触ってあげると喜ぶのよ」といった。
どこを触るのかは聞かなかったが、その時の細木の表情が生き生きしていたのを憶えている。
安岡は認知症気味で、細木は酒を飲まして人事不省になった安岡に、結婚承諾書に拇印を押させたといわれる。
安岡の親族が「婚姻の無効」の調停申し立てを行った翌月、1983年12月に安岡は亡くなっている。安岡の所蔵していた書画骨董などを、細木から取り戻すのは大変だったようだ。
細木は、それを知り合いのヤクザの幹部にばらまいていたそうだ。
安岡に会ってすぐに彼女の銀座のクラブに誘い入れ、誑し込む手口は、水商売の女ではなく、“女ヤクザ”といってもいいだろう。
その後しばらく会わなかったが、1985年、突然、『運命を読む六星占術入門』という本を送り付けてきた。あのオバちゃん、占いなんてやっていたかな? 聞いたことはなかった。どうせ、はったり本だろうと、パラパラめくってそのまま放り投げた。
その後、テレビに出ているという噂は聞いていたが、会ってみようという気にはなれなかった。細木のほうも、多少でも昔の自分を知っている人間には会いたくなかったのではないか。
番組での彼女の決め台詞「地獄に堕ちるわよ」が流行語にもなった。
だが、私がいた週刊現代が、ノンフィクション作家の溝口敦を起用して、細木の虚飾の人生と、暴力団との親密な関係を暴露する連載を始めたのだ。
暴力団の幹部を使って、記事を潰しにもかかった。さらに発行元の講談社を相手取り、6億円余の損害賠償訴訟を起こしたのだ。
だが、事実を突き付けられた細木は、すべてのレギュラー番組を降板し、訴訟を取り下げた。
細木は神楽坂に事務所も自宅もあったようだ。私もよく神楽坂へは行っていたから、偶然、声をかけられるかもしれないと思ったが、一度も会うことはなかった。
こうしてドラマになって見てみると、細木という女性の人生は虚飾まみれではあるが、あの時代を生き抜いた“戦友”のような気もする。
女性としての魅力はなかったが、あの当時の水商売の女性たちにあった“タフさ”や“真剣さ”が彼女にもあった。
銀座や赤坂が輝いていた時代だった。
そんな時代を駆け抜けた細木という女性の生き方がいいとはいわないが、何やら懐かしさを感じるのは、私が年を取ったからだろうか。
さて、文春砲VS.高市首相という構図がくっきりしてきた。
怪しげな奈良の宗教団体からの献金問題。サナエトークンに高市首相の秘書が関わっていた疑惑。昨年の総裁選や衆院選で、小泉進次郎などの対抗馬たちへの中傷動画の制作疑惑。
国会で野党から説明を求められても、「自分は知らない」と斬り捨て、秘書が関わっていたのではないかと追及されると「私は秘書を信じる」と逃げた。
元々責任を追及されても、真っ向から説明責任を果たさない政治家ではあったが、首相になってからさらにひどくなってきた。
だが、文春は追及を続け、次々と新しい「証拠」を突き付けてくる。
万が一、高市が知らなかったとしても、側近の秘書が関わっていた疑惑はかなり濃い。
このままいけば、腰抜け野党だが、高市の秘書を証人喚問しようという事態に追い込まれるかもしれない。
今週の文春は、中傷メールに関わっていたのは木下剛志公設第一秘書ばかりではないと報じている。
「この“ネガキャン動画大作戦”には、政府の要職にある「第3の男」も参加していたのだ。
総裁選告示から二日後の九月二十四日。打合せ準備のために、木下秘書と松井氏が交わしたショートメールがある。まず、松井氏が〈明日21時?Zoomミーティングよろしくお願いいたします〉とWeb会議のリンクを送信。すると木下秘書はこう返信した。
〈よろしくお願い申し上げます。明日は、うちのSNS班の責任者の西田と統括のNも参加させていただいてよろしいでしょうか?〉(注:Nは実際は実名)
松井氏は〈もちろんです〉と返答した。この会議で、松井氏は西田氏らと総裁選の情勢等を相談し、『小泉氏へのアンチ七割、林氏アンチ一割、高市氏のポジティブ動画を二割作ることで一致した』と証言している。
この『西田』氏とは、実は自民党や日本維新の会に所属した元衆院議員の西田譲氏なのだ。
『総裁選で西田氏は、高市陣営におけるSNS対策班の責任者でした。西田氏は陣営の選対本部事務所に頻繁に出入りしていました』(永田町関係者)」
その功績からか、西田は高市政権で黄川田仁志こども政策担当大臣の「補佐官」に就任した。こども家庭庁幹部に名を連ね、「こども政策のインターネット戦略」などを担当しているという。
西田は文春の電話取材にはまともに答えず、後ほど文書でこう回答してきたという。
「総裁選特設サイト、YouTube、インスタグラム、Xでの公式アカウントでの発信を行っていましたが、他の候補者のネガティブな内容の作成や発信などは行っておらず、ご質問にある事実はございません」
間違いなく高市首相は追い詰められている。支持率もじわじわ下がってきている。
トランプ大統領が中国を訪問して、台湾問題では習近平国家主席にねじ伏せられたと報じられ、中国の存在感が増している中、反中国の言動を繰り返しているこの国は、アジアの孤島になりかねない。
高市の命運が尽きつつある中、文春砲のさらなる追撃があれば、首相のイスを放り投げるのではないか。その日は近いように思う。
ところで、先にも触れたが、愛子天皇は幻になろうとしている。
そんな中、朝日新聞(5月18日付)が世論調査を行った。
《皇位継承についても質問した。「女性天皇」は72%、母方だけに天皇の血を引く「女系天皇」については74%が容認する考えを示した。(中略)
今の皇室典範では、皇位継承の資格は、父方に天皇の血を引く「男系男子」に限られている。高市早苗首相は4月の自民党大会で、「男系で皇統が継承されてきた歴史的事実が天皇の権威と正統性の源だ」と述べ、「男系男子」による皇位継承を重視する立場だ。
今回の調査では、天皇について、「女性もなれるようにした方がよい」が72%で、「男性に限った方がよい」の18%を上回った。「女系を認めてもよい」が74%に対し、「男系を維持する方がよい」は18%にとどまった。
自民支持層では、「女性天皇容認」が68%、「女系天皇容認」が70%。維新支持層は「女性」「女系」ともに容認派が7割を超えた。男女別にみると女性回答者の方が男性回答者よりも、「女性天皇容認」「女系天皇容認」の割合が高めだった。》
自民党、維新の会の支持者でも、女性、女系天皇を支持するのが7割いるのだ。
それなのに、高市政権は愛子天皇について全く触れないのは、どうしてなのか? 何を恐れているのか?
今週の新潮も、あれだけ愛子天皇実現せよ報道をしてきたのに、今号では、手のひら返しした。何があったのか? そっちの方が気になるのだが。
コメントしているのは、私から見れば保守的な論客ばかりだと思うが、それぞれの意見を見てみよう。
「皇室の歴史を踏まえた場合、確かに歴史上8方10代の女性天皇がおられました。このことから愛子様を天皇に、と主張する人もいますが、いずれの女性天皇も、あくまで『相応しい男子』が存在しない場合の臨時的、例外的なものでした。皇位継承の本筋は、男系男子による継承であったことは揺るぎありません。
このように考えるならば、既に秋篠宮殿下や悠仁親王がいらっしゃる以上、女性天皇は必要ではありません。万が一、皇室典範が改正され、愛子様が天皇になられたとしたら、これまで皇嗣と定められ、そのようにお振る舞いになられてきた秋篠宮様や、その次の代の天皇と定められてきた悠仁様のお立場はどうなるのでしょうか。また、上記の理解の下、皇室を尊敬してきた国民感情はどうなるのか。混乱しないでしょうか。万が一、継承順位が変更されるようなことがあれば、皇位継承を巡って国論は大きく分裂してしまうことでしょう」(国士舘大学の百地章・名誉教授=デイリー新潮05月16日より)
「皇位継承という国の在り方にかかわる制度を議論する上で、“愛子さまは素晴らしいから天皇になるべき”という属人的な話にすり替わってしまっているのは問題です。例えば、愛子さまが毀誉褒貶あるような方と結婚を希望なさるとなれば、今の天皇待望論は出ていたでしょうか。国の制度や仕組みが、個人の人気に左右されて“この人だったらOK,あの人だったらNG”となってしまったら、法治国家としては成り立ちません」(鈴木洋仁神戸学院大学准教授)
「愛子天皇を待望する人がいても構いませんが、制度を理解せず間違った解釈を前提に主張している人が多いように見受けられます。20年も前から国会で議論が始まり、特例法や有識者会議が設けられてきた経緯を踏まえれば、次の天皇は愛子さまという議論は国会では成り立ちません」(八幡和郎国士舘大学客員教授)
学校でうんぬんするのはいけないだろうが、これが東大や京大、早稲田や慶応の教授に聞けば、違った意見が出たのではないか。
秋篠宮悠仁さんを蔑ろにしているのではない。彼はまだ10代。彼一人に重責を負わせるのではなく、愛子さんという幼い頃より天皇から帝王学を学んだ人を天皇にして、悠仁さんへつないだらいいのではないかという話だ。
それに、決して、アイドル推しのような軽薄なものではなく、愛子天皇待望論は、地に足の着いたものである。
今のまま悠仁さん一人に天皇になる重圧を押し付けていると、万が一「私は天皇にならない」といい出した時、どうするのか?
結婚して男の子が生まれなかったときどうするのか?
天皇存続を考えるのなら、今のうちに、何重にもセイフティネットを作っておく必要がある。
その一つの有力な選択肢として、愛子天皇があるのではないか。それを話し合う前から、女性天皇はダメと決めつけるほうが、よほど時代錯誤ではないのか。
愛子天皇待望は日本国民の総意に近いのだ。それなのに可能性さえも話し合わないというのでは、この国の民をバカにしているとしか思えない。このままでは天皇制存続さえ危うくなる。
(文中一部敬称略)
文=元木昌彦
