記憶聞き取り、絵画で表現=被爆者と対話重ねて描く原爆―九州産業大の学生ら・福岡

2025/08/08 04:59配信【時事通信社】

 被爆者の記憶を次世代に伝えようと、九州産業大(福岡市)の学生らが、当時の話を聞き取り、絵画で表現する取り組みを続けている。被爆体験の語り部で、取り組みに協力した被爆者の松本隆さん(90)=福岡市=は「絵であれば一目で実態を伝えられる」と継続を期待する。 松本さんは10歳の時、長崎の爆心地から約3・5キロ離れた自宅付近で被爆した。松本さんの話を聞き、爆心地方面から歩いて避難してきた人々の様子をまとめたのは同大大学院生、池田菜々香さん(22)だ。 「米軍の戦闘機が急降下してきても、皆、ぼうぜんと歩き続けていた」。池田さんは、松本さんの言葉のみでなく、体験記も読んで被爆地点に足を運び、イメージを膨らませた。 両手をだらりと下げて歩く人、脇の田んぼに映る戦闘機の影―。完成した絵を前に、松本さんは「生きるか死ぬかの状況に追い込まれた人々の心情まで浮かぶ絵になった」と感謝した。次の講演では、作品を横に置いて語るという。 同大芸術学部3年の義経しづかさん(21)は、広島で被爆した米尾淑子さん(90)=福岡市=の証言に耳を傾けた。当時10歳だった米尾さんは爆心地から約20キロ離れた疎開先で爆発を目にした後、母親と広島市内の自宅の様子を見に行った際に被爆した。 「空が真っ赤に染まり、見たこともない黒い煙が上がっていた」。米尾さんの話から、炎に包まれる広島の街を描いた義経さん。「燃える原爆ドームを入れてほしい」との要望も受け入れ、対話と修正を重ねて完成させた。 義経さんは小学生の時、長崎原爆資料館(長崎市)で見た悲惨な写真や映像に強いショックを受け、今も当時の写真を直視できずにいる。被爆を表現した絵画であれば見ることができるといい、「自分と同じような若者にもぜひ見てもらい、被爆の実態を学んでほしい」と求める。 取り組みは2年前、「福岡市原爆被害者の会」が「写真で伝えきれない感覚を絵にしてほしい」と大学側に依頼したことがきっかけで始まった。絵画を指導した同大講師の国本泰英さん(41)は「この取り組みは被爆者と学生が対話しながら制作していく過程が大切。作品はむしろ副産物」と語る。 作品は、福岡市中央区の市民福祉プラザで開催中の「80年目の原爆展」で11日まで展示される。 


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